19 失くした自信
夜が明ける前に、ディーの声で目が覚めた。
「オガタさん、オガタさん!ジャパンから返事が来たんです!」
ディーはコクピットからエンジニア室に駆け込んできた。緒方と脇田が毛布にくるまって寝ていたベッドを揺らした。
「本当か?」
緒方は飛び起きて、ディーの手に持っていた無線機を奪った。
「こ、これは……」
緒方は信じられないように無線機を見つめた。ディスプレイには、日本語で書かれた短いメッセージが表示されていた。
「こちらはマリナスの日本の管制塔です。あなたの信号を受信しました。あなたはどこにいるのですか?」
「やったぜ!やったぜ!」
ディーは大喜びで部屋の中を走り回った。しかしそれもつかの間、急に足元がふらついて、床に倒れこんだ。
「ディー!」
緒方が駆け寄って、ディーの顔を見た。青白くてやつれていた。
「大丈夫か?」
脇田も寝ぼけたまま、心配そうに言った。
「由里子さんを呼んできてくれ」
緒方は脇田に頼んだ。由里子はレスキュー唯一の女性エンジニアで、看護の仕事もしていた。
「わかった」
脇田はすぐに部屋を出て、由里子のいる村へ向かった。
「ディー、どうしたの?」
マリコが驚いて言った。ディーは奥の部屋で寝かされていた。
「疲れすぎたみたいよ。でも、マリナスと連絡が取れたんだって」
由里子が答えた。彼女は機外の炊き出し所で食事の準備をしていた。
「本当?」
マリコは目を輝かせた。
「本当よ。でも、まだ確かじゃないの。ディーが見たのは、日本からのメッセージだけだったの。緒方さんがもっと調べてくれてるけど」
由里子は脇田に話しかけた。
「脇田さん、あなたも痩せたわね」
「そうかな。でも、ディーのほうがひどいよ」
マリコはテーブルを拭いて、大げさな仕草でユキオを呼んだ。
「ユキオ、ご飯よ」
ユキオはマリコに気づき、長老の手を引いてやってきた。アキュラの子どもも数人いた。村の子どもたちも一緒に遊んでいたらしい。
『おじいちゃん、ありがとう』
ユキオは長老に手話でお礼を言った。
「いやいや、こちらこそ。お前さんと遊ぶと楽しいんだよ」
長老は笑って言った。こころなしか、手の動きが大きい。長老も子どもたちに混じって、手話を学んでいるのだそうだ。
「ほほう、これが地球の食べ物か。いっぱいあるな。うちらだったら、これで三日は食べられるな」
長老はテーブルに並んだ料理を見て、感心した。
海草のサラダと魚の煮物。それにパンとチーズ。それだけだった。
「おいしいよ。どうぞ」
マリコは料理を指さし、自分の頬を撫でた。「美味しい」という手話表現だった。長老と子どもたちに料理を勧めた。
「ありがたくいただこう」
長老はパンにチーズをのせて、かじった。
「おいしいな。これは何という食べ物だ?」
「チーズっていうの。牛のミルクから作るんだよ」
「牛?」
長老は首をかしげた。アキュラの子どもたちも不思議そうな顔をした。
「牛っていうのは、大きな動物でね」
脇田が説明しようとしたとき、レイが入ってきた。
「おはよう」
レイは挨拶もそこそこに、自分の席にどっかと座った。
「レイ、どこに行ってたの?」
由里子が聞いた。
「貝掘りに行ってたよ。今日はいいのがたくさん取れた」
レイは貝殻の詰まったバケツを指さした。
「ディーの具合はどうなんだ?」
レイは由里子に尋ねた。
「疲れてるみたいだけど、もうすぐ帰れるわ。マリナスと連絡が取れたんだって」
由里子が答えた。
「ふーん」
レイはあまり興味がないように言った。
「あなた、地球に帰りたくないの?」
由里子が急に言った。
「なんでそんなことを言うんだ」
「だって、あなたの態度を見ていると、そう思うわ。緒方さんがフライトを頼んでも、いつも断るじゃない」
「だって、この船は壊れてるんだよ。修理したって、飛ぶのは危ないんだ」
「緒方さんやディーを信用してないの?」
「信用してないわけじゃないけど」
「じゃあ、なんなの?」
「なんでもないよ」
「あなたは、あの事故のせいで、もう飛ぶことができないと思ってるんでしょう。でも、あの事故はあなたのせいじゃないのよ。あの子も、あなたがそう思ってることを知ったら、悲しむわ」
由里子はレイの目を見つめて言った。
「あの子……」
レイは顔を背けた。
「ハルトは、あなたと地球で再会したいと願ってるわ。あなたは、あの星で作ったあの子との思い出の中だけで生きていくつもり?チャンスはもうないのよ。あの子も、あなたも、これから先、望まない別れで、別々の星で生きていくつもり?」
由里子はレイの手を握った。
「ふざけるな」
レイは由里子の手を振り払った。
「あなたにはわからないよ。ハルトがあの星で何を思っているのか、あの子がどんなに苦しんでいるか。俺は、もう飛べないなんて言わないでちょうだい」
由里子はレイの顔を見つめた。
「やめろよ。そんなこと言っても、何も変わらないよ」
レイは由里子の目を見なかった。
「変わるわ。私が信じてるのよ。あなたは、私の夫で、ハルトの父親なんだから」
由里子はレイの頬にキスした。
「おい、おい。ここは食堂だぞ。そんなことをするなら、部屋に行け」
「おお、何だかお熱いねぇ」
緒方が入ってきて、二人をからかった。
「緒方さん、どうしたの?」
由里子が聞いた。
「いい知らせがあるんだ。日本との相互交信が成功したんだよ」
緒方は嬉しそうに言った。
「本当にそうなの?」
由里子とマリコが驚いた。
「本当だよ。マリナスの日本の管制塔と話ができたんだ。でも、問題は船の修理だ。位置情報はまだ完璧に把握できていないし、船は動くけれども通信機器以外にも不具合がある。これじゃあ帰れる状態じゃない」
緒方は真剣な表情で語りかけた。
「それでも、帰る手がかりがついたことは確かですね」
由里子がほっとした表情で言った。
「そうだけど、修理が必要だ。しかも、あのお方も心の問題で操縦を拒否している」
緒方は重要な課題をレイの背中を指さしながら指摘した。
「レイ、君はどう思う?」
緒方がレイに向き直った。
「俺はもう飛べないって言ったろ?」
レイは冷たく答えた。
「でも、了解してくれれば、俺たちはやるしかない。ここにいる地球人を帰すことは俺たちの使命だから」
緒方は決意に満ちた表情で言った。
「使命か…」
レイは静かに力なく呟いた。言葉もなく部屋のドアを開け、外へ出ていった。
「私たちは地球に帰らないといけないし、俺たちは助け合ってこそ生きていける。だから、みんなで乗り越えよう」
緒方の言葉に、ベッドから起き出してきたディーも、部屋の隅で耳を傾けていた。
「そうだな、みんなで力を合わせて帰ろう」
ディーが立ち上がり、脇田に近付いて笑顔を見せた。
「レイはダイジョウブだと思う。なんかチョット目がギラついてた」
ディーはそう言うと、脇田の肩を叩いた。
レイは表情を変えず、ジッと虚空を睨んでいた。
つづく
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